「無為徒食の私:外人ブログ」、or "A Tract on the Perils of Going Native"

ようこそ!私は日本文学の研究生ですが,文学のみならずクラシック音楽、末法思想、歴史、アメリカの外交政策、寒い駄洒落などに興味を持ち、色々載せてます。奥行きの深いブログですから、ゆっくりとご覧ください!

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  1. 2008/11/13(木) 13:58:01|
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日本のマスコミ、物まねオウムに過ぎないのか




【修辞学。レッスン1: 反米感情を煽ること】

              例A:

純文学の専門で政治問題はあまり自分の研究に直接の関係がないと去年まで思ってきた私だが、今年元日から日本の新聞を毎朝読むと決心し、この三ヶ月で気づいたことは山々ある。左から右への広い範囲でのさまざまな新聞を読むことでマスコミ全体が少し見えてくるだろうと期待して、一週間毎に違う新聞を読んだ。

例えば、一方の極端から他方の極端へと変えて行き、先週は『赤旗新聞』だったとすれば、今週は『朝日新聞』を読んで、そして来週からは『讀賣』で再来週からは『産経』、とした。この循環を何度も繰り返せば、たいてい日本マスコミの傾向が分かってくるだろうと期待していた。何がタブーなのか、情報や表現の自由はどの程度か、これらの疑問点が少しずつ解けていくことを目指したわけである。

そしてちょうど三カ月がたった今、この期間で気づいたことを以下に述べる。

第一。『産経』にせよ、『朝日』にせよ、国際ニュースにおいては、何の変わりもなきに等しいことに気づいた。『赤旗新聞』を除き、どの新聞も大体同じ内容で、何らかの相違があるとしても、それは国内問題に関する社説などに限られている。誰かに命令が下されているかのように、国際や米国に関しての報道は、必ずアメリカのマスコミと一致する。ボスニア内戦、イラク侵略戦争、チベット対中国の紛争、イスラエルのパレスチナ占領、アメリカの日本永久占領、あるいはアメリカの世界諸国への介入などの問題の扱いに見られるように、すべての国際問題に関して、日本マスコミの表現や見解は、なぜか必ず米国マスコミと一致するのである(この事実は、もちろん自分の発見ではないが)。

これは確かに偶然ではない。十年ほど前の『ニューヨーク・タイムズ』が暴露した記事で、戦後の日本では、米国のCIA(中央情報局)から資金援助を受ける見返りとして、自民党はマスコミ報道機関の自由を制限すると約束したことが分かった。 その記事によると、自民党が50年代から70年代までずっと資金援助を受け続けていたが、それ以来は受けていない。にもかかわらず、当時からの思想取り締りが未だに残っているのは一体なぜか。

この一貫した世界観はどこから生まれるか。情報の出所を探れば、きっと『ニューヨーク・タイムズ』や『ウォール・ストリート・ジャーナル』に辿りつくだろう。大ざっぱな言い方かもしれないが、諸親米国の世界観は、この二つの大規模な通信社で製造されているように見える。そしてそこで作られた物語が多くの通信社に送られ、世界中に広がっていく。

例えば、一昨日の『ニューヨーク・タイムズ』で、五年前の今日から始まったイラク戦争を振り返り米国や世界が何を習うべきか、という記事が掲載された。その翌日、予想通りに日本の主流の諸新聞が、それと全く同じ内容の社説を繰り返し掲載した。追加や日本人の立場からの解釈などは一切無い。

よって日本のマスコミのジャーナリストたちは、米国マスコミの直訳者に過ぎないのか、という疑問が否応なしにますます高まっていく。昨日、日本のどの新聞を読んでも、内容は『ニューヨーク・タイムズ』の社説担当記者たち、すなわち新保守派(NEOCON)の、デビッド・ブルックス、リチャード・パール、ジョン・バーンズなど最も熱烈なイラク戦争主戦論者たちが書いた内容と全く同様だった。NHKニュースに出た「政治専門家」と呼ばれる人の分析にも何の違いもなかった。

昨日見たのは、『産経新聞』の「イラク戦争開始五年、習うべきことは何か」だった。まず、アメリカは万能ではない、そして、イラクの国民に対する責任をしっかりと持つ、責任をもつからこそ撤退するわけにはいかない、という主張だった。イラクの国民を裏切ってはならない、という理由を付けて(イラク国民が米国に裏切られたことがないかのように)米軍撤退を拒む。これは一昨日の『ニューヨーク・タイムズ』と同じ主張だ。こういう理屈は、まさにフランスがアルジェリアから、または40年前の米国がベトナムから撤退することを渋った時を彷彿とさせる。帝国主義者の常套手段だ。撤退したらあいつらが混乱状態に陥るから、我らが壊したこの国を救済するために残るのだ、と。

そしてこの『産経』の記事は最後に、占領以来、方針に誤りがあったことを認めなければならない、と主張している。『タイムズ』と同様に、この戦争はそもそも正しかったのか間違っていたのか、犯罪だったのではないか、などという根本的な批判は一切回避。この米国から渡された物語によれば、侵略したことは当然正しかったが、もう少しイラク国民に抵抗するのを控えてほしかった、というのである。

要するに、テレビも含めて日本の多くのマスコミが報道していることは、アメリカのマスコミや国務省報道官からの発言そのままだ。日本人には分析力、解釈力、自立性は全くないかのようである。

日本の政治やマスコミの問題を巡って、日本の皆さんに改めて慎重に検討してほしい。


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  1. 2008/03/28(金) 13:21:48|
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研究計画

谷崎潤一郎(1886-1965)は、存命中にはその評価を巡って多くの議論を呼ぶ人物であったが、近年では二十世紀の中でも卓越した小説家とされている。1984年にDonald Keeneは、「時代を経ても褪せることなく、世界に名声を誇る存在として受け入れられる作家がいるとしたら、それは谷崎であろう」と言ったが、彼が予言した通りに、多くの谷崎作品の翻訳や批評が活発に行われている。批評の多くが、谷崎と西洋の関係、作品中の女性の扱い、母性願望とマゾキズムのテーマ、そして晩年の「東洋的な」美学を論じており、非常に重要だと思われる現象に注目しているものは少ない。それは、谷崎の特に初期及び中期の作品が、その核心部分において、文学についてのサブテクストであるということである。「刺青」(1911)から「美食倶楽部」(1917)、「青塚氏の話」(1926)、「蓼喰う虫」(1929)まで、初期から中期の作品は共通して、芸術とは何か、芸術家の仕事とは何か、そして伝統の役割とは何か、という問題を扱っている。上智大学での修士論文では、谷崎の初期及び中期の作品への様々な影響、つまり江戸時代の文学の伝統を始め、日本及びヨーロッパの自然主義、西洋のモダニズム、日本の古典文学などを考察し、そしてそれら初期・中期の作品が、いかにして文学についてのディスコースとして見ることができるのかを示していきたいと考えている。そのために以下の五つの方法で谷崎作品を見ていくこととする。

 まず、第一の方法では、繰り返される逃避というテーマ、つまり平凡からの避難場としての文学について考察する。これについては、明治晩年に支配的になった「リアリズム」に対する谷崎の反応をみることによって明らかになる。「秘密」(1911)や「青塚氏の話」といった初期の作品で谷崎は、日本の自然主義者のリアリズムによって定義される権威というもの、あるいは彼らの考える「現実」までをも問い直した。自然主義者達が日常生活という表面的な現実を忠実に記録しようとしたのに対して、谷崎はより内面的な現実を求め、想像や幻想、欲望といったものに関して書き、「外面的な現実」はそれらに従うものにすぎないとした。この逃避というテーマは、言文一致運動に対する谷崎の疑問にもあらわれている。言文一致運動とは、文学から、文語や雅文の優雅さや格調を取り除こうという運動であったが、それらは谷崎が書く上で高く尊重しているものだった。また「日本への回帰」と言われる現象からもこのテーマについて考えることができると考える。それは「回帰」と言うよりはむしろ、遠い昔の日本という新しい「エキゾチック」な領域の発見であり、かつて彼にとっての西洋が「エキゾチック」であったのと同様に、自分の個人的な幻想を投影することのできる舞台を得たのであった。

  第二に、「陰影礼讃」(1933−4)についてであるが、これは谷崎の美学に関する最後の宣言と誤解され、またその作品中の美的傾向は、谷崎の、そしてより広く「東洋的美学」を代表するとみなされている。しかしながら、注意して読み、また他の作品の文脈も考え合わせてみると、「陰影礼賛」は、一つの美学論のパロディであり、また永井荷風が描いた古臭く年老いた人物像を利用した自己のパロディとも考えられる。「陰影礼賛」で賛美される様相とは全く異なる特質が他のさまざまな作品に見られるように、谷崎の全作品を検証しなければ彼の美学について総括することはできない。これを示すために、文学論としての作品とも言える「少年」(1911)、「金色の死」(1914)など、「陰影礼讃」で説かれる「東洋的な」陰影の美学とは相反する立場に立つ作品を考察していくつもりである。

  谷崎の美学のディスコースが展開していくにつれて、彼の理想の女性像も変化していく。運命の女から飾りの人形、亡き母、そして屏風の後ろに隠れる平安の貴族女性まで、[2]谷崎の永遠に変化し続ける理想の女性像と、様々な形で試された文体や手法との間には直接的な繋がりがある。第三の見方においては、この理想の女性像と理想の美学との形の関係を考察していく。

 四つ目には、相矛盾しているように思われる、プラトンのイデア論と江戸文化の官能主義の谷崎への影響、そしてそれら二つがいかに谷崎作品の中で衝突しているかを注目する。一方は感覚的で、特定のもの、もう一方は不変的で、究極の形式、これら二つの世界は、谷崎の小説の中心をなすものであるが、未だに体系だてて研究されてはいない。この二重性が最も著しく表れている「金色の死」、「早春雑感」(1920)、「アヱ゛・マリア」(1923)、「青塚氏の話」、「卍」(1928)を注目していく。

最後に第五の見方では、「芸術創造のメタファー:彫物師、映画監督、料理人、道化」というタイトルのもとに考察していくこととする。この見方もまた「文学についてのサブテクスト」という主題に繋がっていくものである。「私小説」を嫌っていると考えられていた谷崎が、本質的には、芸術家としての彼自身を主人公として登場させる物語を繰り返し書いていることを明らかにしたい。このテーマを扱う「幇間」(1911)、「異端者の悲しみ」(1917)、「美食倶楽部」、「刺青」、「青塚氏の話」などの作品において、小説作品の主人公としての芸術家達は、芸術創造と芸術家の仕事についての根本的な問題に取り組み、それぞれが異なる解釈や可能性を示しているのである。

次に詳しく述べるように、上智大学は、優れた教授陣とグローバルな視点に立ったジャパニーズ・スタディーズのカリキュラムを備えており、以上の研究計画を達成するのに理想的な環境であると言える。その教授陣の講座からなるカリキュラムは必ずや、谷崎文学だけでなく、広く日本文学、日本文化の知識を深めることになると考える。
  1. 2008/01/30(水) 11:19:03|
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今年の靖国神社への初詣

今年の初詣にしては少し遅かったが、遅くとも行かないよりもましだと思って、昨日の朝に靖国神社に参拝してきた。別に右翼というわけではなく、あそこは週末になると骨董市が行われていると聞いて、家からすぐ歩いて行けるから見に行くことにした。

朝七時にアフリカ生まれの友達とともに靖国前の大鳥居に着いた時、すでに、右翼のアンダーグラウンド世界から(あるいは以前の時代から)出現した人々で人だかりが出来ていた。外人は我々二人しかいなかったから、すぐ興味を示していた何人かに囲まれて尋問されはじめた。

「汝よ、どこから来たのだ」といきなり憲兵隊の格好をしている一人の老人に引き止められた。銃剣を携帯しているのを見たから生意気なことを言っちゃ駄目だと思いながら、

「わたくしは大米帝国から来日をいたしましてライアンと申します。どうぞ宜しくお願いいたします」と恭しく答えた。

「あらら。アメリカか。私のたった一つの夢は、まだ生きている内にアメリカから日本が独立することを見ることだ。あの黒ん坊は?」と友達の方へ目をやった。

「この人は、アフリカのリビアからです」と答えた。
「。。。」

「そんな顔でアメリカから来たわけはあるまい」とまた僕に向かって喋りだした。「お前は、インド人だよ。戦争の時にインドに何回も行ったりして、お前にそっくりのものをたくさん見たのだ。お前はインド人だな、間違えなく。あるいは、パキスタン人。支那でもないな。シナにも何度も行ったんだけど、満中とか南京とか。でも中国のどこに行ってもお前みたいな顔は見なかったよ。確か、シナ人ではないな。今の時代は、支那人と言っちゃうといけないと言われるんだけど、俺の世代でシナという言葉しかなかった。ほら、ロシア語でも「ヂィナ」とか何とか言って、英語でも「China」とかスペイン語でも「Cino」だと言うのに、どうして我々日本人だけがシナという言葉を使っちゃういけないか全く納得行かんし。。。」と語り続けながら、もう誰も聞かなくなったことに気付いていなかった。

でも彼の話を半分でも聞いていくにつれて、この憲兵隊との友情が少し芽生えて来た。日本の近代化は確かに激しい過程にあって、こういう風になってきた日本を哀れむ人がいるとは当然のことだと僕は思う。このような右翼団体の人々には、醜いところがいっぱいあるに違いないが、少しも彼に同情が出来ないわけではない。

一時間ほどの会話を交わしているうちに、友情が益々芽生えて、最後に解散することになったら、じゃ、一回でも一緒に参拝しようかと誘ってくれた。ま、いいかと思って「じゃ、日本の未来のために」と言って、二人で並んで神殿まで行進して、参拝させていただきました。

この写真は、その一緒に行った黒ん坊が携帯で撮ってくれた一枚です。



  1. 2007/12/23(日) 11:47:29|
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Kokinwakashū Preface and the Shih Ching (The Book of Songs) Great Preface



According to the Great Preface 大序 to the Shih Ching 詩經, poetry is indistinguishable from history, its purpose is explicitly moral, and its style is to be in accordance with the mood and politics of the age. Specifically, the purpose of poetry is to correct governments that have gone astray, advise public officials, and encourage proper behavior between husband and wife.

By contrast, the Japanese, according to the Kokinwakashū 古今和歌集 preface, place the focus of poetry on symbolism (“they give expression to the meditations of their hearts in terms of the sights appearing before their eyes and the sounds coming to their ears”), subjectivity, and the communicative relation between reader and listener.
  1. 2007/09/03(月) 15:17:00|
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